六月七日


   山中の鹿狼をうつて取り

          (柳多留九八・一五〇)




 山中鹿之助といえば戦国時代に尼子十勇士で知られた武将だ。
 南佐久郡南相木村の相木森之助の子として生れ初め甚之助、のち山中鹿之助と改めた。出雲に行き年十六才で尼子家に仕え、歴戦してその名は天下に鳴り響いた。
 鹿之助の母親は更科(さらしな)と言い、美人でなかなかのしつかり者。夫の森之助が甲斐国に差し止めされ、その安否を気づかわれた時も鹿之助を育てたほどであつた。
 この句、尼子家が毛利元就と交戦した際、その臣品川狼之助を打ち取つた。鹿と狼の洒落。