六月八日


   犬坊はかみつくやうにくやしがり

              (柳多留 一四)




 火の玉が毎夜のようにふわり〱と浮び上つて近所の人たちを怖がらせた。これは犬房丸の亡魂の仕業だろうという評判だつた。上伊那郡西春近村小出あたりである。
 建久四年(一一九三)夏、富士の裾野の牧狩に曽我兄弟は父の仇工藤祐経を首尾よく討ち取つたが、弟五郎時致は生け捕られ、祐経の子犬房丸が時致の頭を打つたことで、源頼朝は武士にあるまじき態度と怒つてこの地に配流した。犬房丸はここの住んで一生を終えた。常輪寺にその墓と伝えられている碑がある。しかし、これは誤伝だという説もある。