2:をかしみ、うがち、諷刺

 川柳は初め前句附といはれ俳諧の一つでありますが、俳諧が百韻五十韻といふ風に五七五、七七の各句毎に完了した要領をもち、その一句づ
ゝが鑑賞されるのに比し、前句附は附句の一句立として詠法に於て自由さを発揮しようとするのであります。川柳の文藝性の最も強調されたのは「柳多留」刊行以後であり、しかもその頃の句の本質をも見究めることが閑暇されてはならぬのです。
 川柳の特色は、をかしみうがちと諷刺であるとさへいはれてゐます。このことに就ては潁原退蔵氏は、芭蕉の閑寂のさびと「対蹠的な素材が好んで取上げられ、あはれさよりをかしみを誘ふ」川柳が人事にはつきりした通俗性を捉へ、剰へ「極めて整備した封建機構の枠の中にはめられた民衆たちにとつて、言はゞ唯一の安全辯的な息杖として」「世態の裏面を深く発き、人情の機微を巧に」採り上げるうがちに走り、「嚴粛な人間批判に向は」ず「たゞことさらに機智的な観察を誇るに止まり」「深い愛情によつて捉へられる事がないから、すべては理知の目で見られ」るため「矛盾や弱点が屡々誇張擴大」され、歪曲された滑稽――笑を強ひてよび起さうとするあたり、第二義的の特性としておのづから生れた諷刺も本来の社会的意義を失ふに至らざるを得なかつたと申してゐます。川柳の生立ちから考へますと「今後の川柳もまた当然このやうな通俗性の擴充強化を、その任としなければならないであらう。けれどもそれはあくまで芭蕉の軽みの精神に即して行はれねばならぬ。その意味でやはり川柳が俳諧の附句たるべき本来性への反省は、いつまでも失はれてはならないのである。さうして通俗が通俗のまま投げ出されるにしても、生きた社会と人間との姿がをかしみの中に描き出されるにしても、それらが深い愛情によつて包攝された時、滑稽もまた單なる笑に止まらず諷刺にも一層の眞劍味を?勸すに至るであらう。こゝに川柳の特性は深さと複雜味とを加へ、より高度の文藝性が発揮し得られる事と信じる」と論ずる如く
    云ひきつて出る傘は開きすぎ
    牛方のあきらめてゆく俄雨
   忍ぶ夜の蚊はたゝかれてそつと死に
の古川柳に今更ながら明るい瞳を向けたいのです。