母の日
三浦朱門、曽野綾子は小説家のおしどり夫婦として健筆をふるっていますが、中信地方の病院長を歴任した鳥羽とほる、その令夫人鳥羽紀子は俳句作家です。
合せやる春着の胸よ吾娘二十歳 紀子
年頃になった娘の着付けに心くばっている母親の愛情が、こよなく伝わってまいります。
夕牡丹風立ち吾娘の声ほしや
年経てめでたく嫁いでいった娘への思いやりが句にあらわれ、夕牡丹という季語のうちに、離れていってしまったわびしさがにじんでいるのです。
やはり松本に住んでおられる森泉園子の短歌に、
汝がためにありふれし名を撰みたる母の希ひを知る日もあらむ
あれこれと浮かんだ名前のうちから、これときめた親の願いがこめられているのを、きっと大きくなってわかってくれるだろうというのです。
母をたしなむるまでにやさしく生ひたちてけふは稚く飴欲る子なり
ちょっと意見を言って、はっとさせる大人になったのかと驚きながら頼もしく思い、それが子供っぽく飴をほしがって頬をふくらませている――。そんな微笑ましい家庭風景が描かれます。
松本郊外で農業にいそしんでいる浅井由子は川柳作家ですが、いそがしい農業のかたわら川柳を作って、体験を生かそうと努めています。
独りっ子日記へ綴じるチャボ談義
子に電話かけてホテルへ伸ばす羽根
ここにも子を思うやさしい心根がうかがわれましょう。
みなそれぞれ母としてけなげな日常を詠い、家庭の主婦のつとめにいそしんでいるのです。
五月の第二日曜日はカーネーションを贈ることで母の日が祝われます。
デパートと花屋に母の日教えられ 忠良
ニヤリとさせられるおかしみが出ています。
一九一四年、アメリカのウィルソン大統領が法案に署名、そして国民行事になったのですが、それまでになるエピソードがあります。シャーピス女史という方が、妹に寄せる母の苦労と忍従に深く心を打たれ、熱心に母の日を提唱したからといわれます。
母の日に肩もんでやるプレゼント 喜美子