お船祭り

 思い合わせたように新聞紙で作ったカブトをかぶり、腰に棒をさして飛び廻ったのが、五月節句の小さいときの記憶として残っています。
  菖蒲太刀乳母どっこと請けとめる   (柳多留 一〇)
のように菖蒲太刀で遊んだものと見えます。
 それから思い出すのは、幟の図柄で鍾馗(しょうき)で、さもゴツゴツしたひげを立てた武者のいでたちでした。
 そして子供は無邪気なもので、
  太刀をぐわらりとなげ捨てかしわ餅   (柳多留 一三)
 食い気の方に走って、柏餅にかぶりつくのでした。男の子が生まれると、親戚からもらった鯉幟などのお礼に、子供みずから柏餅をくばったのです。
  大小で配って歩く柏餅   (柳多留 八)
 得意気に菖蒲太刀の大小ではしゃぎながら、柏餅をくばるあどけなさ。
 節句というのは年に五回あるお祝いの日ですが、普通は三月三日と五月五日に定着しています。
  隣へも階子の礼にあやめ葺き   (柳多留 一)
 ご近所とのつきあいがこんなところにもあるのは、今も昔も変わらないものです。だから暮らしの愉しさが芽生えてくるのでしょう。
 菖蒲酒といって、酒を入れた徳利に菖蒲をさして飲んだり、こまかにきざんで盃の中へ入れて飲むのです。魔除けになると言っていただくのでした。菖蒲湯に入るのも、あのかぐわしい匂いが身を浄めることに通じるもので、みそぎだろうと思われます。
 鯉幟は五月の風に泳ぎ、矢車のカラカラ廻る音が蒼空に鳴り渡ります。鯉が急流をさかのぼってゆくように、力強く成長してほしいのです。
 五月五日は松本市里山辺に鎮座します薄宮(すすきのみや)とも言われる須々岐水(すすきがわ)神社の本祭りです。このお祭りは「お船祭り」とも呼ばれています。前後に船首、船尾を現す赤い幔幕を張り、船体にはさまざまな彫刻、彫金をほどこした絢爛たる山車が、この神社の氏子九地区よりそれぞれお囃子につれて、老若男女に引かれ、まるで大海原を行くがごとく、神社めざして集まります。
 境内の思い思いの場所で御神酒や御馳走をいただいた後、神官のお祓いをうけ、再び元気よく境内を回遊して帰って行きます。大神様に守られ、農作物収穫などの願いがこめられているのです。