お朔日

 五月一日はメーデーです。職場からの要求が、墨痕鮮やかにいくつもプラカードに大書され、街道に躍り出ます。
 全国いたるところ、この日を期して賑やかに市中を練り歩く示威運動は年中行事のひとつで、欠くことの出来ない労働祭として意義づけしています。
 むかしイギリスで五月一日、選ばれた容姿端麗の美しい町自慢の五月姫が栄誉に輝く花の冠をいただき、花や紐で飾った柱の下に、睦じく踊り興じた花祭りがいつか習慣となり、労働者はこの日を労働祭としておこなって来たのでした。
 やがて世界各国の労働者に及んで、今日のメーデーへと大きく発展を遂げたという歴史があります。「八時間労働」のスローガンが目標となって、この実現のためあらゆる職業に従事するものの要望を貫徹する示威が、メーデーの最初の運動であったといいます。
  闘はん我等の五月一日ぞ   三四郎
  メーデーに児負うて女加はりぬ   喜山
 俳諧歳時記に、メーデーは五月の季題として定着しています。
 この月初めの第一日をお朔日(ついたち)と言って、縁日など参詣に出かけました。神信心にふさわしく、初心を忘れぬ自覚と敬仰が結びついているとでも申せましょうか。
 朔日はつい経つ、二日はふいと経つ、三日は見ぬ間に経つ、という俚諺は時日の早く経過することをたとえています。「朔日日和は三日もたぬ」とは、古老の経験がものをいった天候の占いです。
 四月一日がむかし衣更(ころもがえ)、着物調度をとり替えたもので、今も五月一日から袷、六月一日から単衣、七月一日から帷子に着がえる習慣の地方もあるとか。
 季節の節目にキリリと服装替えをし、颯爽と街頭を彩るのは、女性たちの触発する頼もしい美意識の発露でありましょう。
 むかし八月一日の日を八朔(はっさく)と言い、特別にお祝いごとをする世俗の賀日であったのです。陰暦では八月一日頃は稲作も一段落ついているし、農村行事として祝い合う佳い日とするのは、恒例のように思われます。
 農村ばかりでなく、武家でも町家でも、この日盛んに贈答祝賀したものだったのですが、今はもうすたれて遠い過ぎし日の語り草になりました。