水車

 夏目成美、鈴木道彦とともに寛政の三大家とうたわれた井上士朗は、名古屋の俳人。本業の医者のかたわら俳諧を加藤暁台に、国学本居宣長に学んでいます。享和元年(一八〇一)名古屋を出発した井上士朗ら一行が江戸を下り、善光寺、松本、諏訪を経て飯田に至るまでの俳諧紀行『鶴芝』があります。
 全巻五編のうちその三編は松本の仙市、阿彦の共編で、土地の風物や風交の模様を伝えております。
 逢初川、桐原牧、筑摩御湯、浅葉野など、松本地方にふさわしい題に因んで詠じました。清水の里では、
  又も来ん清水のさとのすみれ草   士朗
  けさ見れば花のかげある清水かな  松兄
  春雨のここらを降るや苔の門    蘿堂
 「清水の里は水のながれものふり、木立黒く生ひて、幽閑いふばかりなし、ここに泉阿の伏家あり。予がかりの宿りにとて茶を煮く」と書いています。いろいろと手厚くもてなされるままに、ひと日ふた日と滞在したが、今日は出発せねばなるまいに名残り惜しい――と述べています。
 この家に大勢訪ねて来てくれ話し合ううち、もう夜も更けたといって帰ってゆく。昨日今日の旅の疲れに蒲団をかぶって寝たところ、急にひとりが飛びあがって誰だ誰だと叫ぶ。何事だろうといぶかりながら起き直って聞く。
 「とってかまう」という声を繰り返すからだとのこと。さてはあの恐ろしい鬼でも出たのだろうか。こわさのあまりまんじりともしないで騒いでいるうちやっと夜が明けた。正体は何だろう。実は水車が夜もすがら音を立てていたからだった――。
 津島壱岐の『松本大観』に、「清水の里は市の東部山辺街道に沿い、道路人家の間に巨樹老木の陰で清水が湧き、これを掬すれば清涼肺腑に透り夏尚寒きを覚えしむ。この水を利用して抄紙に従事、種紙半紙の製出多し」とあります。
  夏くれば伏屋の下にやすらひて清水の里にすみつきぬべし   大進
 歌枕になって、いくつかの古歌が残っています。滾々(こんこん)と湧き出る幽邃(ゆうすい)なところだったわけですが、穂高のわさびの花盛りを聞くこの頃、清冷な水のたたずまいは同じだと思い当たります。
 松本市でついさきごろまで両島やまた島立の松島橋あたりに、わさび畑がひっそりとひろがっていた風景はまことに目に鮮やかに映りました。