絵葉書

 姉がお嫁に行くときに残しておいたてごろな小箱がありました。それはちょうどはがきが入るほどの、朱塗りで模様がある小さな箱です。中に幾枚か大事にしておいた葉書が出てきました。
 メリー・ピックフォード、ルス・ローランド、パール・ホワイトという映画女優、ウィリアム・ダンカンなどの男優の絵はがきで、姉の女学校時代に集めたコレクションだったのです。大正時代ですから、竹久夢二の童謡のついた少年の絵はがき、画家の名前が”まがね”とある「ドナウ河の漣」の歌詞の入ったのも出てまいりました。
 大正時代は絵はがきが流行したものとみえ、つつましやかな娘ごころをおもいやることのできる宝物だったわけです。
 姉のコレクトではなかったかも知れませんが、深志公園の池のほとり、キナパークへ登る右側に石で彫った牛の像のある絵はがきもありました。また女鳥羽川の千歳橋の見える風景で、縄手の河岸に幾本かの並木が並んでいるのもありました。
 農工銀行(松本城に入る右角に建っていた)の建物や、日本銀行松本支店の建物も、みんな絵はがきになっていました。
 明治美人の絵はがきは、私の母が集めたものでしょう。いま見ても、古風だが別嬪だなあ――と目を細めてしまいます。少しずつ彩色をしてあります。唇のところを赤く塗り、姉さんかぶりの手拭にちょっと青をさしてあります。
 明治美人絵はがきは、総じてこうした顔料で配色してあるのが一般のようです。スカシ絵というものがありました。それは何でもない風景画ですが、これを明るい方へかざして透かして見ると、裸体美人が影絵のように浮かんできます。いまでいうヌード写真のはしりというものでしょうか。
 もとは官製はがきだけだったのが、明治三十三年十月一日に私製はがきの許可がおり、絵はがきの普及を高めたということです。
 父は、戦役に従軍しましたときの記念絵はがきを大事にしていました。明治三十七、八年日露戦争のときの在外将卒慰問絵はがきなどがそれです。明治三十九年五月十五日は大観兵式祭記念スタンプ捺印の最終日で、東京郵便局前に集まった群衆はものすごく、中には切手をはった三味線を持参するほどだったとか。四月二十日は郵便週間、切手趣味週間にあたります。