鳥居火

 花見のいい季節に恵まれた嬉しさ、テクテクと城山公園に登っていきました。晴れた日の頂上から眺める展望は素晴らしく、大きく息を吸って浩然の気を養うにもってこいです。
 ここにはいくつかの句碑や歌碑や童謡碑が建てられています。私が佇んでいるとすぐそこに
  鉦ならし信濃の国をゆきゆかばありしながらの母見るらむか
がありました。松本市和田出身の窪田空穂が、亡くなった母を偲んでの作品です。巡礼となって鉦を鳴らし、亡き母が眠っている信濃の国をめぐり歩いたならば、ありし日のままの母に会うことであろうか――の意味です。
 空穂は現実主義的な人生派ともいうべき歌境を形成したことで知られ、昭和四十二年、九十一歳の長寿を全うして他界、松本市名誉市民でもありました。
 私はもう一度この短歌を口ずさみながら、わが母への回想にひたり、また足を北の方へ進ませてゆくことにしました。お天狗さまと呼ばれる犬飼山は、ほんの峰つづきです。御嶽講の霊場になっています。それから鳥居山が近づいて来ました。
 鳥居山は大宮神社、武ノ宮神社の鳥居火で知られるところです。お祭りの日には山を降りて西の方からこのあたりを眺めるのもよい景色です。私は島内に川柳仲間がいまして、「鳥居火を見においでよ」と誘われたことを思い出しました。
 四月十四日から三日間、交代で町区、東方、北方の人たちが鳥居火を三晩つづけて行うのですが、この地方ではあまり見かけない行事です。背伸びしなくとも視界はひろくゆっくり見られ、つい快哉を叫びたくなります。
 松明を持って並び、鳥居の形をつくり、そのあと大の字、平の字、天の字、火の字など、芝草山の夜を彩るのです。
 なぜ鳥居の形をつくるのかといいますと、両社は藤原時平を祭神とするところから、菅原道真が雷神となって鳥居を焼いてしまった、という言い伝えがあるからです。
 宇多天皇の信任を得て右大臣に任ぜられた道真は、時平との不和で、九州筑紫に左遷されました。のち、道真の怨霊は雷神に化神して、しばしば時平に仕返しをしたという話が伝えられています。
  よいしめりなどと時平も初手はいい  (柳多留拾遺 五)
 春の夜の交響楽にも似た火の祭典は、故事を伝えながら、今年も明るく点火されます。