フキノトウ

 私の住んでいる家から眺める鉢伏山の頂の雪が、まだ残っていると思っておりましたら、背の辺、腰の辺から少しずつ消えてゆくのがわかります。
 「東にそびえるほかの山々の雪が消え、鉢伏の雪が消えはじめると、こんどこそ松本に春が来るのだ」故老はよく話してくれたものでした。
 待ちかねた春の女神がほほえみかけてやってまいります。懇意にしている郊外の知人から、無雑作に新聞紙に包んだ何やらを戴きました。「春の訪れだよ」というのです。開いて見ましたら、フキノトウで、ついこちらも嬉しくなって「ありがとう」とお礼の言葉を返しました。春の息吹きを掌にのせて、悦に入るのでした。
 葉の出る前の花のつぼみですが、出たてのころをとります。雪をくぐったホウレンソウや、摘み菜がおいしいように、フキノトウの妙なる香気と、あの苦味がかかったところが、なんともいえない早春の味覚をそそります。
  蕗の薹ほのか青める信濃路の春をこほしみ友と見んとす   勇
 まだ開かない花を寒さから守ろうとして、いく重にも固く包んでいるのはかわいいものです。フキノトウは俗に姑(しゅうとめ)と呼ばれます。「麦とシュウトメは踏むがよい」という諺から考えますと、フキノトウも土から顔を盛り上げる頃に踏みつけてやると、かえってよいのが出る習性を意味していることになりそうです。
 そのむかし名老中と聞こえがあった板倉重矩が、父重昌の戦死した島原の乱後、家督を継いでから、本庄に屋敷を賜わって住んでいました。「咬菜軒」の三字を人に書かせ、これを額に掛けて置きました。この額は名前のように、菜園作りに自適する境涯になぞらえたものです。ある時、手製のフキノトウ味噌を大老酒井忠勝に贈って喜ばれた逸話を生んでいます。
 これはとても乙な味です。酒の肴のなめ味噌もよいので、食膳に欠かせない早春のさきぶれとして愛用されています。
 アク抜きをしておいて、それをさらし木綿の袋などに入れ、味噌の中に漬けこんでおきます。これがフキノトウの味噌漬けです。季節が過ぎてもいただけます。「細かく刻んでから、そこへちょっと白胡麻をふりかけるといいよ」と、味にうるさい近所のおばさんが教えてくれました。
  苦き手の其の人ゆかし蕗のとう   召波