電気記念日

 大正時代、お医者さんは往診には人力車に乗って出かけました。いざ急患ともなればなおさらのこと、俥夫は緊張したおももちで、梶棒をにぎりしめてゆくのでした。いまはほとんど自動車で、お抱えの運転手さんが運転するか、自分のハンドルで走り回ります。随分と変わったものと思います。
 また馬に乗ってゆくお医者さんがでてきました。手綱さばきも鮮やかに、足音も高らかに鳴らし、馬上凛々しい姿はちょっと風変わりでしたから話題を呼びました。おかかえの人力車の俥夫は、愛馬の手入れにかわりました。
 馬と違って、羊を利用したお医者さんが江戸時代にあったという話があります。荻野台洲が京都で開業した時に親交の深かった平賀源内が「早く流行医者になる名案がある。こうし給え」と指図してくれました。
 台洲はそれに従って羊を手に入れ、早速玄関先につないでおきました。その頃、羊などは、大いに珍しかったものですから、往来の者が足をとめて見物し、終日門前は群衆が絶えませんでした。
 京中の人々はたちまちその家を知るありさまで、羊医者と呼んで来診を請うようになり、それからますます繁盛したということです。
 羊をシンボルマークにするアイデアを教えてくれた平賀源内は、博学多才で名があり、博物学者として、また戯作にも秀でていました。明和七年に長崎に行き、西洋の博物学から電気学まで習い覚え、電気医療器を買い求めて帰りました。苦心研究して安永五年に発電機を創製したそうです。
 三月二十五日は電気記念日。明治十一年のこの日、東京工業大学で中央電信局の開業式祝宴の灯火用として、イギリス人エイヤトン指導のもとに、学生の藤岡市助と中野初子がグローブ電池五十個を使い、マーク灯を初めて点火しました。
 これから約二十年たった明治三十二年十二月八日、松本に電燈第一号がつきました。中部電力の前身の松本電燈会社が、入山辺の薄川第一発電所より起こした電気で、四柱神社境内に点燈したのが第一灯です。これを記念して境内に記念碑が建てられました。