水仙の花

 卒業式が近づいて、共に学んだこの学校ともお別れか。そろそろ友だちにサインして貰うことにするか。
 ブックをとり出し「何か書いて下さい」と、一人一人に頼んで書かせます。素早くこれに応じるものがいると気をよくしますが、なかには書こうとする文句が浮かばず、名前だけのサインでちょっとテレるものもいる。
  若者よ! 大志を抱け
 そう書こうと考えていたのに、もうこれは先にしたためてあるので、
  その人を知らんとせばその友を見よ
 と書く。「えらそうな言葉だが、どこから聞いた」「お前知らぬか、支那の『史記』からさ」ちょっと澄ましてそう言います。
 このサイン帳を大切にしている友人が「君はあの頃おませだったな。少女にやるせない思いを托すような短歌だったぜ」。
 もう五十幾年も前のことをさらけ出され、ロマンチックに憧れた若き日のことをなつかしんだことでした。そういえば中学校一年生あたりから、俳句や短歌を一人すましでこしらえ、たのしんだ覚えがあります。三年生のとき作文のなかに自分の詠じた漢詩を挿入したりして悦に入っていました。
 四年生のとき、国語に「川柳」が出てきて、若林昌義恩師の懇切な導きがあり、のち川柳を実作するようになりました。この感化は大きいものがあったと思わずにいられません。
 入学発表の順番は、うしろから数える方が早く、卒業のときの順番もやはり前からではちと手間がかかりました。
 きょうが卒業式というとき、教室に水仙の花が飾られ、何かすがすがしい気分にさそわれたのです。
 当時は通学しているものはほとんどが農村から来るもので占められていました。農村の同級生のひとりが、卒業式に間に合わせようと気を配ったのかも知れません。
 むくつけき友がこんなに奥ゆかしいところを示すなんて、やっぱり佳き日なのだ、そう自分にもいい聞かせたことでした。
 夏目漱石が逝くなって間もなく『新小説』は臨時号で「文豪夏目漱石」を出しました。表紙は竹篭に投げ入れた水仙漱石が画いています。随筆『思ひ出す事など』に「此間人から貰った支那水仙もくるくる曲って延びた葉の間から、白い香をしきりに放った」とあります。
 水仙の花蓋は白色、副花冠は黄色。