雛祭り

 信州の雛祭りは一カ月遅れです。ところが、このごろは待ちこがれた子供たちが、我慢しきれずに「早く、早く」とせがむものですから、松本地方でも三月三日に雛人形を飾る家庭もふえているようです。
 生安寺小路という町名の別称が、高砂町通り。春になると、軒並み雛人形店に早変わりします。生まれた女の子のお祝いに、雛人形を買いに来るお客さんで、せまい通りはいっぱいになります。
 松本は、「押し絵雛」という全国でも珍しいお雛様の生産地で有名でした。盛んなときは全国的な販路をもっていました。江戸時代の後期につくられたのが初めといわれます。当時の下級武士の家族の人たちがもっぱらつくっていました。松本藩も内職奨励で、いろいろ力をかしています。
 きらびやかなこの平っべたい押し絵雛は、昔はなくてはならない飾り物でした。伝統的な古風さとマッチさせ、新しい技法で今も受け継がれ、創作的な趣向をもって親しまれています。
 雛祭りは、桃の節句を祝うものです。菱餅や白酒を供え、子供たちもほんのりと頬を染めます。ぼんぼりに灯が入ると、なんとなくゴキゲンです。
  雛祭り皆ちっぽけなくだを巻き   (宝十義 三)
 古川柳です。ちっぽけなという表現が、可愛い姿態をいいえています。三月三日に、酒の中へ桃の花を浮かせて飲むという地方があります。それは昔話に採り入れられていて、こんな筋です。
 田植えの頃になると、いたずらをする蛇に、「娘をやるからやめてほしい」と頼みます。やがて添いとげて二人は仲よく暮らしています。ある日、易者が来て、「どうもあやしい、早く別れさせるがよい。けれど助かる方法がある」といって、「鷲の巣に卵が三つ産んであるから、聟殿にとってもらえ」と教えられます。そのように聟に頼むと、蛇の姿になってとりに行きます。鷲の親はその蛇を突っついて退治してしまいました。それで娘が助かったのですが、易者はそれを聞いて「三月三日の節句に、桃の花を酒にうかばせて飲めば、もっと丈夫になります」といって去りました。
 お雛様は子供の枕元において、ふりかかる災厄をこの人形にうつし、みそぎとして、川に流したのが始まりだということです。