炬燵

 寒くて困っているとき、なにはなくとも炬燵です。何よりのもてなしであります。
 肩をすぼめ、風邪をひくんじゃないかと思って、ブルブルしているとき、「サアサアお当てなさい。ご遠慮なさらないで」。そういわれて炬燵にもぐりこむとほかほかとあたたかく身体中をぬくもらせてくれるのです。
 「炬燵はズクなし袋」という俚諺があります。反面炬燵は談論風発の場、信州にはかけがえのない暮らしの伴侶ということができましょう。
 炬燵のなかった頃は、物にお尻をかけ火鉢で足をあたためていたもので、古い絵巻物にその様子が描かれていると、『骨董集』に書いてあります。
 炬燵のヤグラをかついで家々を売り廻る商売もあって、なかには置き炬燵を車に積んで売ったということですが、私も小さいころ見たようなおぼろげな記憶があります。
 暖国の者には珍しい炬燵、いったいどんなものだろうか、どんな恰好をしているのか、と興味津々です。
   炬燵●
  「おらが村の庄屋どのが、江戸からこたつといふものを持つて来たげな。どのよふなものやら、ついぞ見たことがない」と村中さそい見に行きやす。向ふから「コレ貴様たちはどこへ行くのじゃ」。大勢「こたつを見に行くのさ」「それなら行くにおよばず」「そりゃなぜ」「なに、ふとんをかけて見せぬ」   (さとすずめ・安永六年)
 すっとぼけたオチが快い。蒲団をかけるのが炬燵なのに、それを隠したと見たおかしさが笑いをそそる。
  智恵の出ぬ時は炬燵へ腰を掛け   (柳多留 一五)
 難題が持ちあがった、サアどうすればいいだろう。いい考えがなかなか浮かばない。立っていても名案が出ない。何となく炬燵に腰をかけて、しょんぼりしている様子が目に見えるようです。
  泣く時の櫛は炬燵を越えて落ち   (柳多留 一)
 「お前少しヘマだったね。あんなにいいところまで行ってたのにさ」サンザン嫌味をいわれショボタレル。炬燵にあたったまま、とうとう泣き出します。挿していた櫛が炬燵を越えて、向こうへ落ちる。情緒こまやかな句。
  置き炬燵話を奥へつれて行き   (柳多留 四)