針供養

 縫針の折れたのや曲ったのを集め、豆腐にさしてまつる行事を針供養といいますが、二月八日がその日です。長い間かたいものを縫って下さった針さん、有り難う、ご苦労さま。きょうはやわらかいものにさしてあげますから、どうぞゆっくりお休み下さい。
 和裁に励んでおられる女性の方々は、針への感謝を忘れないで、そっと豆腐にさしておられることでしょう。
 そのお豆腐を天秤棒にかついで、呼び声もすきとおる夕暮れどき、ユッサ、ユッサとゆれながら通ってゆくあとから「ちょっと豆腐屋さーん」。声をかけられ、ゆっくり腰をかがめて下ろし、「一丁ですか、半丁ですか」と、たずねる顔もにこやかに、馴染みになったお得意さんに会釈しているのです。
 私の家の近くに豆腐屋さんを営む老夫婦だけのおうちがありました。町内で一番早起きで、暗い中に戸を開けせっせと働き、豆腐が仕上がると今度は油揚げにとりかかります。齢をとっていた二人は、いい縁があって両貰いの若夫婦を迎えました。両親のお気に入りだけあって、若夫婦もよく稼いでおりました。
 寒い夜、湯豆腐を戴いているとき、私だけ黙ってこの両夫婦のことを思い出し、ふと箸を休めるのです。家族の者は「どうしたの」、そんな風な顔付きで私を見ています。思い直して私はまた箸を動かしながら、過ぎし日のあのよく働き合った両夫婦のことを少し語り出すと、いつかあたりに雪がちらちらと降るのか、静かになってゆくけはいがわかります。
 私はこの豆腐屋さんへおからを買いにやらされたことがしばしばでした。恥ずかしそうに訪れると「坊、よく来たな、少し大目にしてやるぞ」と、大盛りにして下さって、家へ帰ったらみんなに喜ばれたものです。とてもおいしかった。
 「絹ごし豆腐はどうもやわらか過ぎて、口応えがなくていやだ」という人があるかと思うと、「かたいのは私にどうも合わない」という具合に、それぞれ好みがあります。
   豆腐●
  小僧、豆腐を売りに出て内へ帰り、「今朝は売れませぬ。漸々半丁売りました」といへば、聾の親父「ナニ半鐘打った」「イイヘ、豆腐のことさ」「遠くならよい」   (鳥の町・安永五年)
 火事と勘違いしたおかしさです。半丁と半鐘、豆腐と遠く。それにしても時節柄、火の用心、火の用心。