松本城風景

 南安曇郡安曇村島々にいて、のち松本に移り住んだ加藤大道は版画をよくし、通信販売も手広く全国に同好者をもっていました。田舎風景のなかにいつもあどけない子供たちを入れることを忘れずに描きました。
 雪を少しいただいた「松本城」は墨一色で、城の威容をよく伝えております。
 東筑摩郡坂北村に住んだ滝沢徹男は、素人ながら版画に秀で、山を背にした農村風景の人物の点綴は人なつこく、また日本アルプスを遥かにする「松本城」の数度摺りの作品は、小品ながら出色のものと思います。
 疎開して松本地方に深く馴染んだ石井柏亭に油絵「松本城」があります。いかめしい城の輪郭がたくみに表現され、日本民俗資料館に展示されています。
 棟方志功といえばすぐ版画と結びつけますが、昭和十七年刊『棟方志功画集』によれば、同年作品油彩「松本城」(十号)を画いています。同じ年に「御母家山」の山裾風景もありますから、松本は想い出の地であったはずです。
 横井弘三は飯田市出身、大正四年二十六歳の時、二科展で高山樗牛賞をはじめ次々と大賞を受賞しました。しかし中央画壇と相合わず離れ、晩年疎開して住みついた長野市に不遇の生活を送りました。先年飯沢匡の再評価があって、信州新町に「横井弘三絵画館」ができ、また回顧展も開催されました。
 県内の名所風物を描いた版画が多く、『風光の信州』第四輯のなかに松本城の画もあり、独特の丸みがかったタッチで、お城とお濠の印象の力強い色調を奏でています。
 大下宇陀児は、上伊那郡箕輪町生まれ、松本中学校に学びました。探偵小説『情獄』の中に松本城がでてきます。
  思って見れば、僕がこの浅間の温泉へ遁れて来てから、今日で恰度一週間になる。ここは、僕の少年期から青年期へかけての悩ましい慌しい時代を育むで呉れた、あの古めかしい松本の街から程近い所だ。僕があそこの城跡にある、緑色の濠に囲まれたM中学の出身だったといふことを慥か君に話したね。
 宇陀児はNHKラジオ「二十の扉」にレギュラーで出演し、活躍しました。
 ずっと古く十返舎一九の文化十三年刊『膝栗毛八編上』には、松本城の挿絵があり、弥次喜多らしい二人が松本城を見やっています。遠くいまの日本アルプスらしい山が連なります。