雪見

  いざゆかん雪見にころぶ所まで   芭蕉
 こうした風流はほんとうに奥ゆかしいもので、雪の美しさを雪見のなかで見つけようというのです。そのうえ、雪見酒を酌みながら一句を吟ずるなんてことになると、雪景色の醍醐味は増すばかりでしょう。
   雪見●
  ある雅人、雪降りに僕一人連れて角田川と志し、蓑やりかたげてすたすた真崎まで行き、茶店に腰打かけ、一杯機嫌にて僕をみれば、何かもの案じ顔なり。雅人、さてはおれが内へ居るほどあつて、発句を案ずるそふなと思ひ、茶店へ自慢顔にて何と六助、至極よい景色であらふ」「ハイ景色はよふござりますが、この雪には困ったものでございます」   (民和新繁・安永十年)
  子は炬燵おやじはころぶ所まで   (柳多留拾遺 四)
芭蕉の句をもじっています。なんとまあズクのない息子でしょう。おやじの雪見をせせら笑っているのでしょうか。
  雪見とは馬鹿馬鹿しいと信濃いひ   (柳多留 二五)
 江戸時代、信州人は農閑期を利用して、江戸へ出稼ぎに行ったものです。チラチラと降る雪景色に、「雪見とは大ゲサだ。おらが信濃の豪雪を見せたいものだ」と自慢しています。
 豪雪といえば、北信の飯山地方で毎年雪見川柳大会が開かれます。飯山の川柳同好者が主催で、県内外に呼びかけ大勢の参会者で賑やかです。見上げるような積雪をかいくぐるように会場へ勇んでゆく風景は、雪国の印象を濃くして、心の広がりを感じさせます。
 いまの松本市西町児童遊園地は福島安正大将の生誕の地ですが、中佐のころドイツ駐在武官をおえて帰国のとき、中央アジア外蒙古、シベリア、満州を経て帰ってきました。行程一万四千キロ、四八八日の雪中単騎旅行の成功は、世界中をあっといわせました。今から九十年近いむかしのことです。
 じきに雪が降りそうな冷えこみを感じると、いつも思い出す昔噺があります。
 山が噴火したので作物の穫れなくなった貧しい村に、旅人がヘトヘトに腹をすかしてたどり着くのですが、どこの家にも食べるものがない。親切なおばさんが見かねて、庄屋さんの畑にある大根を抜いてきて、旅人に食べさせます。庄屋さんは誰が抜いたかとさがします。火山灰ではっきり残ったおばさんの足跡をかき消すように、美しく雪が静かに降りつづいています……。