兎田

 「おめでとうございます。今年はいいとしになりますように」――。正直じいさんがニコニコしながら挨拶しますと、欲深じいさんは、意地悪そうに「さあな、いいとしになるかどうか、わかるもんか」といいます。「まあ、どっちになるか。初夢でうらなって見よう」。
 ところが欲深じいさんはなんとしても夢を見ることができず弱っているのに、正直じいさんの家では天から福をさずかる夢に恵まれました。その話をすると欲深じいさんは「おらは地から福をさずかる夢をほんとに見たぞ」とうそぶきました。
 正直じいさんが畑を耕していますと、カチンと手ごたえがあり、土のなかから大判、小判がザックザク。「これは地からの福だ。隣のじいさんに知らせよう」。欲深じいさん、ホクホクものです。掘り出したつぼをワクワクしながら開いて見たら、これは驚いた。蛇がニョロニョロ。ぶったまげた欲深じいさんは怒鳴り散らし、蛇の入ったつぼを正直じいさんの家へ投げ込んでしまいました。
 ところがどうでしょう。蛇がこんどは大判、小判に早変わり、たちまち山と積まれ「正夢じゃ」と大喜びです。これは「天福地福」という昔噺。
 宝船売りが「お宝、お宝」といって町を売り歩いたのは昔のことですが、七福神が宝船に乗った木版画、これを枕の下に入れて寝ると、よい初夢を見ることができるといわれていました。
 さて松本市里山辺区林には、元旦に兎のお吸物を差し上げたのを褒められて、免租地となった「兎田(うさぎだ)」の逸話があります。
 林にある広沢寺は曹洞宗名刹林城信濃国守護職小笠原氏の開基。
 この地に領主小笠原清宗の三男林藤助が住んでいました。ある年、徳川家康の祖父、松平清康が林の館を訪れたとき、鎌倉の頃から親しかったよしみで、藤助は大いに喜んで迎えました。雪中、兎一匹を捕え、元旦に雑煮をご馳走し、兎の吸物を勧めました。
 このことがあって、次第に松平家の運が開け、孫の代の家康に至って覇業を成し遂げました。これを機に、徳川家では元旦のお膳には、兎の吸物をそえることを嘉例とするようになりました。広沢寺門前の地は藤助が兎をつかまえた地として伝え、「兎田」の名を残しています。