お元日
すがすがしい気分で、新春をことほぐ家族の者たちと初詣に出かけます。うやうやしく拍手をうち、その音を自分でたしかめ、生きている幸せがしみじみわいてきます。
元朝の城の鯱の尾より陽ざす 深志城
見上げれば城は高々と威容をかまえて、元日の佳き日を迎えた幾星霜を、いかめしく思いやっています。
新しきいのちと佇てり初日の出 高夷
敬虔なおももちのうちに、馬齢を加えて、いっそういのちの有り難さを感じながら、初日影に染まるおのれをいとおしむのです。
この俳句はいずれも松本に住む人の作品ですが、伊予松山藩士の長男として生まれ、正岡子規門下の重鎮だった内藤鳴雪は、乞われて色紙や短冊に揮毫するとき「例の一系か」とつぶやき、
元日や一系の天子不二の山
と書き、満悦の笑みをたたえました。よほどお気に入りの句だったのでしょう。いかにも古風ながら打ち揃っためでたさが横溢しているではありませんか。
快晴に越したことはないのですが、元日に雨や雪がちらつくこともあって、寝正月をきめこむのんき者もいます。俳句の方では御降(おさがり)といいます。
御降に草の庵の朝寝かな 虚子
悠々自適の仮住まいの気散じな閑日月を思わせてくれます。
元日早々、湿っぽいものが降ってくるのを厭わしく思う人もあるのですが、その年は「豊穣疑いなし」の譬もあります。
燈ともして富正月に酌みにけり 冬葉
富正月(とみしょうがつ)とは御降の異称なのですが、こう詠まれます。
文化文政の頃、名僧として敬仰された徳本上人という人がいました。ある年、元旦に雨が降りました。「あいにくの雨ですね」と挨拶したら、徳本上人は「天地のことをそのようにとやかく申すものではない。風や雨がなくて、どうして物すべてが育つものか。ただ天地を恐れうやまって念仏を申すがよい」とたしなめたそうです。
「一年の計は元旦にあり」という俚諺があります。人それぞれ希望と期待を抱かせるよき出発の日なのです。
元日の町はまばらに夜が明ける (柳多留 三〇)