十二月三十一日

   大晦日よんどころなくとしをとり

              (田舎樽)




 一年の最後の日である。明日は新しい年を迎える。人生の区切りに似た何かしら感激と惜別を覚える押しつまつた日である。
 よんどころなく年を取るという感懐は、川柳人らしい皮肉さを隠せないが、一つまた馬齢を加えるよんどころなさとは別に、正直なところ今年一年も無事終つたということ、そして新しい年を迎える喜び、みんなお互いに丈夫で生きているつつがなさをじかに感じとる日でもあるのである。
 家内一同打ち揃つて夕食の膳につく。年取り魚として「ぶり」。昔、能登越中で獲れたものが飛騨を通り山々を越えて来た。出世魚だ。お吸物。三つ盛り。それに(数の子のように繁盛する)と言つて数の子。(まめであるように)と言つて煮豆。(田や畑がよく出来るように)と言つて「たつくり」。また福大根となぞらえて大根や人参を煮付ける。これが何よりの信州の御馳走である。
 年取りは人間ばかりでなく、家に飼つている馬や牛に主人の使つている茶碗に飯を盛り桶に開けて呉れたり、鶏にも米や田作りをやつたり、鼠には米に煮干を添えて暗い所に置くと一年中いたずらをしないものだと言われた。信州の風習でもあつたのである。
 「年取りそば」をしみじみかみしめている頃、ピイピイと吹いて売りに来るウグイス笛の「初音」に耳をたのしませ、そして重々しく凛々しく百八つの除夜の鐘が鳴るのである。