十二月二十八日

   飯山があつても江戸へ喰ひに出る

             (柳多留 三三)




   駿河には過ぎたるものが二つある
       富士のお山と原の白隠
 霊峰富士山と静岡県駿東郡原町の白隠禅師のこと。白隠はここで生まれ、八四才で原町の松蔭寺において入寂した。白隠の詠に
   恋人は雲の上なるお富士さん
       晴れて逢ふ日は雪の肌見る
 諸国をめぐり、飯山の正受庵で道鏡彗端の教えを受けた。西方の山地、千曲川を見下ろす斜面の一廓の楢沢というところだ。とき二十四才。修行およそ八ヶ月、宝永五年(一七〇八)十一月、恩師の下を離れた。臨済宗中興の祖、多くの帰依者を得ていた白隠禅師が若き日、遥々飯山まで来たのだ。正受庵・彗端禅師の大悟に敬服のほどが知れよう。
 この句、信濃者の大食を飯山(いいやま)の飯の字に言い掛けた。信州最北の都会、飯山市は大雪の地、スキーで賑わうところ。