十二月十五日


   清水を呼ぶも鎌倉の深い智恵

             (差し柳)



 木曽義仲の遠縁に当る甲斐の武田信光は、自分の娘を義仲の子の義高に嫁がせようと願つたところはねつけられた。それを根に持つて鎌倉の頼朝に「義仲は平家に内通して頼朝を討とうとしている」と中傷した。
 また義仲や頼朝の叔父に当る行家が、頼朝から離れて義仲と親しくしているのを聞いて頼朝はこころよからず、憤りのあまり信濃国へ兵を差し向けようとした。
 義仲は「保元以来源氏はとかく血族相争う愚をつづけている。ここでまた頼朝と不和になることはまずい」と考えた。
 そこで頼朝を避けて越後に赴き、わが子清水冠者義高を人質として鎌倉に送つた。頼朝は喜んで自分の娘大姫をこれに娶わせた。