十二月十四日


   十四日昨日は胴で今日は首

            (柳多留 一一)



 昨日は胴で、今日は首を斬りさいなんでいる川柳残酷物語ではない。
 十二月十三日は煤払の定日で、主人以下一同を胴上げして、めでたく掃き納める習慣があつたが翌十四日は元禄十五年(一七〇二)十二月十四日を指し、赤穂浪士の本懐を遂げた日に当るのである。
 吉良上野介の子義周はどうしたか。米沢候上杉綱憲の二男に生れ十四年十二月に吉良家に養嗣になつたのも束の間、一年経つて赤穂浪士の討入りに遭い、聞き苦しい申立てで十八才にして諏訪高島藩に引渡され悶々やるかたなく居ること三年、あえなく他界した。諏訪市中洲の神宮寺の法華寺の裏に墓がある。
 天正十年(一五八二)織田信長は、武田、木曽、高遠、諏訪を攻めて意気大いに揚り、「上諏訪三里の間にみちて連陣、尺土を余すことなし」と言われたほど信濃覇業のために英雄が馳せ参じた。本陣として十四日滞在したのがこの法華寺である。