十二月四日


   平八が娘のしめるさなだ帯

            (柳多留 九四)


 上田市常磐塚の芳泉寺に小松姫の墓がある。真田信之の妻として女丈夫えであつたことで知られている。
 徳川家康が政略的結婚をもくろみ、本多平八郎の娘おねゐを養女にして真田昌幸の長男信之の夫人とさせた。
 関ヶ原合戦のときは父子敵味方となつた。それでも昌幸は上田へ帰る途中、せめて孫の顔を見たいと、上州沼田城に留守をあずかつている信之の嫁に伝えたが入城せしめなかつた。昌幸はさすがにわが子の嫁よと、怒りもせず賞めたたえたという。