十二月三日


   東西を一反づつの上田縞

            (柳多留 三三)


 上田といえば真田を思い出すが、上田城を築いた真田昌幸の子に信之と幸村があつた。慶長五年(一六〇〇)関が原合戦に、昌幸と幸村の父子は石田三成のすすめで西軍に加わつて上田城に頑張つたが、幸村の兄の信之は関東の徳川勢に属し、秀忠の軍に従つて上田城攻めに参加するという奇しき運命に立たされた。
 父子兄弟敵味方に分かれたことを上田縞にたとえた句であるが、この上田縞は二百数十年前から織り出されたという古い歴史を持つている。