一茶へは月と蕎麦粉の礼をのべ
(慶応 元)
一茶が初めて江戸の夏目成美の門を訪れたが、あまり風采が悪いので、門人にあやしまれ玄関払いをくわされた。そこで一茶は、土産に持つて来たそば粉をふりまき、指で
信濃では月と仏とおらが蕎麦
と書いた。後に成美はこれを見て、一茶を呼び戻したという。上水内郡信濃町柏原出身。
信越線柏原駅ほど近く一茶終焉の土蔵がある。「これがまあついの栖か雪五尺」の句にひつかけて(これがまあ)と訪れる人たちの目を驚かせるほど荒れ放題のようである。文化保護法で史跡指定を受けているだけに修理の手が待たれよう。
きようは一茶忌。