十一月十日


   生マつばをはき〱巴生捕られ
           (柳多留 一六六)



 木曽義仲は朝日将軍と呼ばれたのも束の間源頼朝の軍に敗れて粟津で最期を遂げた。時に三十一歳。敗色しきりに身をさいなむとき義仲は愛人巴御前をさとして去らしめ信濃国に帰らせた。のち鎌倉に送られ、頼朝はじめ北の方政子など物珍しげにどんな女かと見たがつた。義仲の子を懐姙しているので後日を慮かり、島流しにせよとの声もあつたが、和田義盛は頼朝に懇望して妻に貰い受けた。