十一月九日


   張り替えた太鼓を和田は夜たゝき

           (柳多留 六〇)



 巴御前は中原兼遠の娘、木曽四天王に数えられる樋口兼光今井兼平の妹である。武勇に富み、木曽義仲といつも帷幄にあつた。多くの勲功を樹て、巴の名はあまねくそして敵を威圧した。
 しかし義仲最期も近く、さとされて信濃国に帰り、のち捕えられて鎌倉の頼朝の御前に連れて行かれた。危ういところを和田義盛が妻に貰い受けることで一命をとりとめることが出来た。
 その腹に生まれたのが、剛勇で知られた朝比奈義秀で、義仲の胤であるなどともいわれる。後年、義盛、義秀滅びてから巴は越中に赴き、尼となつて九十一歳の天寿を全うしたという。