十一月四日


   関取と信濃を呼ばる飯時分

         (柳多留 二〇)



 むかし信州人は集団になつてよく江戸へ働きに出掛けた。飯たき、まき割り、その他雑用でかせいだ。野暮ではあつたけれど、みんなに愛された。食うことが田舎から出て来た理由とするほどに遠慮なくよく食べたらしい。お相撲さんのように大飯食いだから「おい関取」と大げさに呼ばれると「オー」と返事もよく、その率直さと気取らなさが親近感を増した。集団就職で東京などに進出しているいまの人たちは何と愛称されているだろうか。
    染の介
 小紋の頭巾に江戸ざらさの羽織、小そではとび茶、帯は花いろ、細身の脇差を胸高にさいて出かける。向ふへ友だちが来て「貴様ははでな表具でどこへいき給ふ、おきまりのお筋か」「ヲヽさ、松葉屋の染が処へ」「此みすがたは」「さればもう黒もふるいし、いきな事もしつくしたによつて、思い付きでかうでたが、マアどうだらう」「ウヽおのしが染という気取と見えた、とんだ洒落をするやつさ、したが能く案じた、遊ぶものはさうだ〱、おらもめへかた信濃屋の信の路を買つたときには、うちから飯をくはずにいつた」(安永二年刊・聞上手二編)