十一月三日


   孝経で大めし喰らひが唐へ知れ

          (柳多留 五五)



 信州が生んだ昔の学者といえばすぐ太宰春台を思い出す。唯物論の先覚者の一人にかぞえられるほどだが、また横笛の名手でもあつた。七十余曲はヘイチヤラだつたという。
 この句、漢の孔子伝の古文孝経が久しい前から中国に失われ、日本にだけあつたのを、春台が校訂し刊行、のち清人の鮑廷博が見て非常に喜んだことをいつている。九歳まで飯田に在住、成人して荻生徂徠の門に入り大学者になつた。ゆかりの地、飯田市上荒町の旧居跡に「太宰松」の老樹が保護されていたことがある。
 きようは文化の日。各界に功労のあつたひとが表彰される、春台先生も生きていたら受賞に輝いたことだろう。
    笛
 信濃者笛を初めて聞き、俺も習はんと笛指南所へ習ひに行く。「イヤ旦那様、私に笛をどうぞ教へなされて下され」といへば、「成程、随分教へてやりませう」と笛をとり出し「サア吹いて見たがよい」と差出しければ、信濃者笛とつて吹いてみて「イヤ、もうし旦那様、よしませう」指南「なぜ又ふかん」信濃「是を習ひましては、くはえ煙管が出来ません」
           (文化二年刊・それはなし)