九月二十九日

   なれも妻恋ふか碓氷の峰の鹿

             (柳の丈競)



 むかし軽井沢に奇特な人がいて、道行く人々のため碓氷峠まであちこち道しるべを作つて立てて置いた。この人はその道しるべを作る表面にそれぞれ必要な文字を刻み、そのかたわら自分の家の紋所である源氏車の形をした紋を刻んで立てたところ、これがあたかも風車のように見えた。
   碓氷峠のあの風見誰を待つやらクルクルと「信濃追分」でこううたわれる。
 この句は、日本武尊碓氷峠で、なくなつた妃の弟橘姫を追慕したことをいう。
 信濃国は十州に境しているほどの大国であるから、これに入る道も中々多く、その中で最も古く歴史に現れているのは碓氷峠
   碓氷峠の権現さまは
      主のためには 守り神
 長野県北佐久郡群馬県碓氷峠との境にある峠。中仙道の嶮所であつた。峠の標高は一三三六六メートル。頂上にあるのが熊野権現