九月二十七日

   忠信は胡麻塩にして取つて投げ

            (柳多留拾遺 八)




 源義経吉野山に入つたとき、法師武者に謀られて窮地に陥り、佐藤忠信は自ら義経の甲を着し、偽つて源判官といつて討死したように見せ掛け、義経をのがれしめた。
 のち京都に至り、室町にかくれているうち偶々碁を囲んでいたところ、討手を受けて、碁石を取つて投げて防いだが遂に戦死した哀話がある。
 善光寺山門近く古びた二基の宝篋印塔は兄の継信と共に義経の身代わりとなつた亡き児の供養のために母が建てた追善の思いやりだ。