九月二十二日

   撫子を見る刈萱も露を持ち

           (和国追福会)




 自分の子供でありながら親として名乗ることの出来ないつらさはどんなだろう。高野山にいると聞いてはるばるやつて来たいとしい十三才になつたわが子の石童丸に、尋ねる人は逝くなつたと打ち明ける等阿上人の心情はうちふるえたに違いない。
 「撫子」にたとえた石童丸、ふくむその露はそのまま上人の涙でもあつた。
 石童丸は父とも知らず弟子となつて仏道に入つた。上人は愛着の念断ち難く単身信州善光寺に来り、石堂町西光寺に足を留め、のち山の麓の往生寺に草庵を結んだ。