九月二十日

   死水を取つたは今井ばかりなり

           (柳多留拾遺五)




 松本市今井区下今井南耕地には今井兼平の屋敷跡が塹村と呼ばれて残り、上今井中村の宝輪寺は兼平の開基といわれ、その橘の紋を寺紋としている。また上今井堂村の兼平神社は木曽義仲の遠孫家村が足利尊氏の朱印を得て木曽谷で再興したとき、この今井は木曽氏に属していたので、応永年中に土地の人たちが特に要請して、小祠を建てて兼平の霊をまつつたといわれている。
 兄兼光、根井幸親、楯忠親と共に木曽四天王として天下に轟かせた今井兼平は、義仲の最期を見とどけ自らも奇しき一生をおえた。