九月十九日

   音に聞く秋は山中鹿之助

          (俳諧むつの花)




 南佐久郡南相木村山中鹿之助の生れ在所だ。父親の相木森之助が甲斐の武田信玄に長く止め置かれ、その生死のほどをあやぶまれたとき、美人で胆力のすわつた気丈夫な母親の更科は塩尻峠でその様子をうかがい、甲州の動静に聞き耳を立てた。
 幸い森之助の叔父で武田氏の家臣、相木市兵衛と奇遇し、拾われて甚之助改め山中鹿之助と名付けられる。
 鹿之助は塩尻の山中から加賀へ、そして京都、齢十六才で出雲の尼子家につかえ、伯耆の山名氏を攻める軍に従つて敵の猛将菊池音八を討ち取り、その勇名は高く尼子十勇士の第一と呼ばれた。
 この句、秋の山中に聞く鹿の声をその名に言い掛けた。
 尼子晴久に続きその子義久の代に至つて毛利元就に滅ぼされ、鹿之助は逃れて京都に隠れ主家の回復を計り、或いは勝ち或いは敗れる運命に起たされ、尼子勝久は戦死、共に悲壮な最期を遂げた。卅四才。