九月十八日

   どのまつりでも深川のおやぢ出る

             (柳多留 一九)




 江戸時代「親和の幟」といえば江戸のあちこちの儀礼になくてはならないほど人気があつた。自ら得意とする草書篆書の散らし書きなどを浴衣地の模様に染出した「親和染」というものが、当時の豪放な気風のムードの影響もあつて大いに流行をもたらした。
 また煙草入れや帯などにも「親和幟」がつくられた。書家であり意匠化でもあつたわけだ。この三井親和は信州高島城主諏訪因幡守忠晴の弟五郎左衛門の家来三井孫四郎之親の子として江戸深川の役宅に生れた。