八月二十三日

   風流と武勇と背中くらべなり

           (柳多留 四〇)





 西筑摩郡福島町の興善寺は、巴御前木曽義仲の遺髪をまつつたと伝えられ、日義村の徳音寺と同じくその墓所がある。
 また義仲が壮烈な最期を遂げた粟津の近く大津市馬場町の義仲寺にもある。これは天文二十二年(一五五三)近江の守護佐々木高頼が石山寺に参詣した帰り道、義仲の墓が畑のなかに荒れ果てているのを見て、ここに一寺を建てた。これが義仲寺である。
 俳聖松尾芭蕉は生前この地を好んで地内の無名庵に長く逗留していたことがあつたのでその歿後弟子達は遺髪を義仲寺に葬つた。のちこの芭蕉塚に
   木曽殿と背中あはする夜寒かな   伊勢又玄
という手向けの句が詠まれたが、この句は後日「木曽殿と背中あはせの寒さかな」と誤り伝えられたばかりでなく、芭蕉自身の詠句の如くに思われた。