八月二十二日

   義仲の頃より榾の火は消えず

           (俳諧ケイ八)




 木曽出身で全国に名を売つたのは木曽義仲島崎藤村にまず指を折ろう。
 藤村の故郷の馬籠は西筑摩郡山口村神坂にある。明治五年、島崎正樹の四男に生れた。のち折にふれ故郷の風景や風習を書いて、自分の出生と成育の過程を辿り、自伝的作家の地位を固めた。文学者として森鴎外夏目漱石と共に代表される三つの性格を意義づけたのである。小諸なる古城のほとりの有名な詩を始め、「破戒」「新生」「夜明け前」「東方の門」などを著わし、いまもなお多く愛読されている。きようは藤村忌。
 藤村の生家の旧本陣址に当村記念堂が作られ、文学を愛する人で賑わう。谷口吉郎博士設計の白壁の美しい瀟洒な建物。
 もうひとつ木曽路で美しい建物といえば定勝寺がある。大桑村須原の定勝寺は、永享二年(一四三〇)木曽義仲十一代目の親豊が義仲追悼のために開基したもの。現在の伽藍は三五〇年前の桃山式建築で、重要文化財指定の寺。明治天皇行在所でもある。