八月十二日

   権兵衛が宿直手柄の種を蒔き

            (三箱追福会)




 戦国時代の盗賊石川五右衛門。こそ泥と違つて流浪の旅をしながらもやる事が大きい。剛胆でからだは大きく、力は三十人前の強さだつたといわれる。京都の内外に横行し、大胆にも秀吉を刺そうと伏見城に忍び入つた。その寝所に近づいたところ、不思議なことに枕元の太閤秘蔵の千鳥香炉が音を発して鳴いた。そのため宿直で警備に当つていた仙石権兵衛が捕え、ことなきを得た。その功績で小諸城に封ぜられたのである。
 石川五右衛門は釜うでの極刑に処せられるとき「石川や浜の真砂は盡くるとも世に盗人の種は盡きまじ」と詠んだ。思えば釜に恨みが数々ござると落語「釜どろ」で語られる。
 大釜を盗んで親分の仇を討とうと意気込んだからたまらない。豆腐屋きんは大恐慌。ところがそれにあわてずヒヨウキンな豆腐屋さんが大釜のなかに入つて防ごうという寸法。泥坊二人に外にかつがれても知らずに寝込んでいたが、眼が覚めたら満天の星。「しまつた、今夜は家を盗まれた」