八月十日


   一じようの上田で道を張りふさぎ

             (柳多留 八三)




 上田紙は明治中頃まで製造していた小判の粗紙で、小杉原ともいつた。上田城下の村々で冬仕事にすいては江戸へ出していた。なかなか評判がよく、鼻紙としてみんなに重宝がられた。使いの者にお祝儀用で与えたり、贈物に対するおうつりとして使われた。
 この句の一じようは、上田紙一じようを上田一城に利かせたもの。徳川秀忠の大軍をしりぞけ、真田昌幸、幸村の父子が、上田に真田ありの勇名を天下に知らせた慶長五年(一六〇〇)の上田合戦は名高い。