八月九日

   六文を四十二文にはたらかせ

           (柳多留 八二)



 上田城で名高い真田幸村は徳川方をしばしば悩ませ、知将ここにありと広く知られた。大阪城で奮闘した時、新発明の自雷火で敵方を驚かせたことがある。その自雷火はサツマ芋の屁をつめて作つたものだつたというのは太閤ひいきの大阪人が江戸時代の末につくり出した珍話だ。
 この句のように影武者を六人そろえ、神出鬼没、幸村が本人に合せて七人もかわるがわる現れ、徳川方の目をくらませた。真田家紋の六文銭はご承知の通り。