八月四日

   また降りだらう雷電に九紋龍

           (柳多留 二八)



 名力士雷電為右衛門は十六年間も大関の地位を占め、実力は当時同じ西方であつたため取組みはなかつたが横綱谷風以上であつたといわれている。また一度横綱を免許されようとしたけれど、我は天下の雷電で満足だと豪語するほど無欲恬淡であつた。
 出生地の小県郡東部町滋野に佐久間象山の撰文で碑を立てたが、この碑石を持ち帰ると勝負事に強いと信じられ、ために破損はなはだしく再建されたほどである。
 この句の九紋龍は九紋龍清吉。久留米藩抱え、身長が二メートル一二もあつたという。