七月二十日

   かるゐ沢膳の半ばへすすめに来

            (柳多留拾遺 二)




 夏の軽井沢、気温は東京に比べ五度は低い信越線で上野をたつと碓氷峠を越えて間もなく軽井沢、標高九四〇メートル。避暑地に向く条件は涼しさに加えてその環境にもある。質朴で清潔だ。軽井沢を避暑地として開いた主はイギリスのシヨー宣教師。明治十九年春初めてこの地を訪れ、その年の夏は借家住いで過し翌々二十一年に初めて別荘を建てた。これを機に宣教師や外交官が続々集つた。
 この句、昔、軽井沢が宿場として栄えたため、いなか丸出しの女が幅をきかしたことを語つている。