七月十八日

   狐火の折々野路をほころばし

           (柳多留 二)




 木曽街道洗馬から塩尻、村井にかけての雑草が茂い繁つた広い原、それは桔梗ケ原である。昔、玄蕃丞という狐が棲んでいて、これが狐のボス、たくさんの子分があつた。そのうちでも赤木山の新左衛門、田川べりのおきよ、岡田の孫左衛門、六助池の六助は四天王といわれた。
 大仕掛けの一芝居を打つ時はみんなで協議して智恵をしぼつた。そしてきつと当つた。中仙道を下に―下に―と大名行列がやつて来る。宿役人はあわてて次の宿までの準備に忙殺される。平伏して待つているとすつと消える。さてはやられたかといまいましい舌打ちをする。次の日になるとまた下に―下に―と大名行列が来る。だまされてたまるかとタカをくくつていると、これがほんとうの大名行列。目も当てられぬほどだつた。
 また合戦の真似がうまく、おふれを出して見物に来させ人間どもを大いに堪能させた。この外、嫁入りの行列、葬い行列などは平チヤラだつたそうな。