七月十七日

   三代はどれも一とく才智なり

           (柳多留 四八)




 徳川の大軍を食止めて以来大いに名をあげた上田城天正十一年(一五八三)真田昌幸が築いたものといわれる。そのさい地固めに踊つたのが「上田獅子」のはじまり。
 先に舞う禰祇(ねぎ)一人に雌雄三匹の獅子が鉦、太鼓、笛に合せ踊り狂うものである。禰祇は猿田彦命にふんし天狗の面、えぼし、太刀姿。
 ところでこの句、一得才智は一徳斎のもじり。真田一徳斎幸隆、その子昌幸、その子幸村、いずれも知略縦横の名将であつた。