七月十四日

   山吹は一重巴は八重に咲き

            (しげり柳)




 木曽義仲の愛人といえば巴御前、山吹姫がある。共に京都まで伴れ立つたが、山吹は病いのため京都にとどまり、巴は男まさりのほまれも高くいつも合戦に加わつていた。
 巴は普通の女より少し上背で、肉づきはいいがこれといつて怪奇な大女ではなく、色白で髪が長く、何となく愛くるしかつた。義仲最期の粟津の合戦のあと、巴は和田義盛の妻となつた。齢二十八歳。源頼朝に懇望して義盛が貰い受けたことになる。
 大津駅前の西北のかどに「木曽殿をしたひ山吹ちりにけり」の句碑が建つが、これが山吹の終焉の場所だという。京都に居残つていたが、義仲の配色濃いことを聞いて大津まで追つて来たけれど逢うことが出来ず、敵の手にかかつてはかない一生を閉じた。