七月十一日

   黒石トの石に蛙の行者越

              (新編柳樽 二)



   和田へぬけるか湯川へ出るか
        嶺にかかれば雨が降る
 長久保甚句でうたわれる。武田信玄甲州から川中島へ出陣するときには常に大門峠を越えていつた。東海道の塩は裏富士の甲州からこの峠を越えて北信濃に運ばれたとか。
 中仙道の和田峠よりも約八キロほど東南に位していたので、甲州に通じる道としては大門峠の方が便利であつたわけである。
 修験道の開祖の役小角(えんのおづぬ)は甲州から信濃に入り、この峠を初めて越えたといわれている。だから“行者越”の名もあるくらいだ。
 この句「くろぼく」は火山より噴出の黒色の石。