六月二十三日


   姥捨てた土地ははきぎも見え隠れ

             (新編柳樽 二四)




 大岡昇平の「武蔵野夫人」は在来の風俗小説や不倫小説とは多少違つた知的な新しさを持つ作品といわれる。風景はすべて武蔵野。
 大岡昇平は昭和の武蔵野なら、佐藤春夫の「田園の憂鬱」は大正の武蔵野。もつとさかのぼれば国木田独歩の「武蔵野」。明治だ。
 きようは国木田独歩忌。
 いまも取り残された武蔵野に愛着を感じて逍遥する人がある。武蔵野のといえば何か郷愁を覚えるのだが、信州には昔から歌枕にあげられていたほど親しまれた園原がある。こころを落着かせる静かな自然のふところ。
 下伊那郡阿智村知里にあり、ここから神坂峠を経て美濃国に入るが、昔この峠は鎌倉街道と称し、日本武尊御東征の帰途、又は坂田村麿東征にこの道を選んだという。
 園原は古く「伏屋の里」とも呼ばれ、箒木と木賊の名所であつた。
   はゝ木々の心をしらで園原や
   道にあやなくまどひぬるかな   源氏物語
 「とほく見れば、はゝきを立てたるやうにて立てり。近くて見れば、それに似たる木もなし。然らば、ありとはみれど、あはぬものにたとへ侍る」(袖中鈔)とある。