六月二日


   血眼で弥三郎めと追つかける

            (柳多留 四三)




 平景政は平安朝時代の勇士。鎮守府の将軍平忠盛の孫で景成の子。その父景成が鎌倉権守と称したため鎌倉権五郎といつた。下伊那郡上郷村南条の白鶏山雲彩寺境内に鎌倉権五郎の墓と称する一基がある。
 後三年の役源義家に従いみちのくへ行き藤原武衡を討つたが、そのさい敵の矢が権五郎の左目にうち込まれた。権五郎は怒り、射うた鳥海弥三郎の首をはねた。このあと三浦為継が権五郎の顔に足をかけ矢を引抜こうとしたが、その無礼をなじり、ひざまずいて抜かせたという戦国話がある。