五月二十八日

   十郎はたび〱虎の皮をはぎ

                (柳多留 四〇)




 富士の裾野に見事な仇討の本懐を遂げた曽我兄弟。兄の十郎祐成、弟の五郎時致はまだ紅顔の若者であつた。十七星霜、それは長く苦しかつたことだろう。
 祐成には言いかわした愛人があつた。相州大磯の遊女虎御前である。或いは大磯の長者の娘ともいわれる。建久四年(一一九三)兄弟が首尾よく本望を達した喜びも束の間、二人とも刃に倒れ、虎御前は悲嘆にくれた。この日五月二十八日に降る雨を虎が雨と呼ぶ。
 虎御前は兄弟の死を悼み、尼となり善光寺に来り、庵を結んだのが長野市岩石町の虎石庵と言い伝えている。